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2022.12.18 15:21

2022.12.10・11 大阪城ホール

1984年、名盤「E‘」(イーダッシュ)が生まれた。

今回の「ONE FIFTY」ツアーではこのアルバムから多く選曲されている。


矢沢が大阪城ホール公演を行ったのも1984年からで、初めてこの会場を満員にしたアーティストと言われている。

“東の聖地”が日本武道館ならば“西の聖地”は大阪城ホールとファンの間では囁かれるほど愛されているこの場所は、今日も全く隙間がないくらいに超満員だった。

これもかつて大阪では矢沢永吉の会場使用拒否が続いている中、当時の大阪城ホール館長が快く使用承諾してくださった経緯があるからだ。


MCでは自らのことを“花火屋”と称し、キャロルの頃も他のメンバーは音楽家だが自分はどうコンサートをプロデュースするか考える方がメインだったと語る。

本人はそう言っているものの、凄腕のミュージシャンに囲まれて最高のライヴパフォーマンスを行えるのは、やはり矢沢永吉という一流の音楽家でありボーカリストが存在するからに他ならない。


「また、大阪に来ます。」

この一言に会場の皆が大きな拍手で答えていた。